辿り着く答えは
僕の何かを揺らした
追われる殺人犯にとって、自分を追う者を巻いてやりたいというのは自然な考えだ。ときには殺してやりたい、消しておきたいとも。すべては自分の行ってきたことを無駄にしないため――邪魔なものを抹消するため。
そしてそれは、キラという名称にも置き換えて考えることが出来る。つまり僕だ。僕はやつを殺してやりたい。L……そう、竜崎のことを。
しかしなんだ?この感情は……。竜崎が大学に出てきてからずっと、僕たち二人は一緒にいる。一時は危ういところまでいったが、監禁も無事すり抜け、第三のキラを殺し、今に至ることが出来た。あいつを葬る計画ももう準備万端で、絶対に成功するだろう。だが、それらをすべて押し除けて、僕は今、奇妙な感情にとらわれている。とても言葉では言い表せないようなものだ。一体、これは――
「月くん?」
竜崎の声にはっとして、顔をあげる。
「どうかしましたか?」
「ごめん……大丈夫だよ。最近あまり寝てないせいかな、疲れてるみたいだ」
「そうですか。上の空だったようなので」
どうやらぼーっとしていたらしい。考えごとをしていたからだろうか?こんな調子じゃ駄目だ。すぐに竜崎の怪しむような視線が突き刺さってくる。
僕はキャスター付きの椅子に一度背をもたれかけさせて、うーんと言いながら伸びをした。パソコンの画面に再び戻ると、ずらりと並んだ文字の羅列に目が痛くなりそうだった。もしかして本当に疲れているのか?……まあ、たまには休憩も必要かもしれない。
「なあ、竜崎」
僕の声に、ティースプーンで紅茶を掻き回していた竜崎が顔を上げた。カップの置いてある小さな皿の脇には、先端部分がしなっとなったシナモンスティックが横たわっている。そういえばこいつ、さっきこのスティックで紅茶を混ぜていたな……相変わらずの甘党ぶりに、僕は思わず溜め息を漏らした。
「人を呼んでおいて溜め息ですか。失礼ですよ?」
非難するような目つきで僕を見る。
「竜崎の甘いもの好きに改めて感心してただけだよ」
感心、というのはもちろん皮肉。今さら皮肉もどうこうもないけれど。それはお互い、暗黙の内に了承していることだ。
「本当に改めて、ですね。それより何ですか?」
ほらきた。これも皮肉だ。こいつもいい加減負けず嫌いだな、と僕は内心笑った。僕たちの間で交わされる会話には、常にこういった皮肉や、裏を掻こうという意図が含まれている。一般的な会話じゃないのは分かっているが、これが夜神月とLのスタイルだ。
「用事がないと呼んじゃいけないのか?」
「そうは言ってません」
「それならいいけど。ちょっと疲れたからね、話でもしながら休もうかと思ったんだよ。竜崎と話していると退屈しないし」
手元にあるティーカップを手に取り、一口飲む。もちろん、竜崎のように甘くはない。
「そうですか。私も退屈しませんよ、月くんとの会話は」
「はは、竜崎にそう言われるなんて光栄だな」
「月くんの話は非常に興味深いです」
「そう?例えば?」
興味深い、か。だが、こいつの言うことだ。さしずめ、僕の言うことは全てキラとしての重要発言になるから、とでも思っているんだろう……せいぜい、今のうちはそう思っているがいいさ。僕は決してボロを出したりしない。
「……恐らく、今私の考えていることくらい月くんなら分かっているでしょう」
竜崎はティーカップの中を覗き込むようにしながら、淡々と言った。
「なので、私はあえて聞こうと思います」
「何を?」
「月くんの……殺人観念です。人を殺すという行為について、月くんはどう思いますか?」
いきなりなんだ?こいつは何が聞きたい?まさか、僕がこんな質問でキラとしての尻尾を出すとでも思っているのか。それとも単なる好奇心?……いや、竜崎はそんな無意味ことをするような奴じゃないはずだ。絶対に何か裏で考えている。まあ、ここはもっともらしく答えれば問題ないだろう。
「……僕の殺人観念だって?そうだな……最初に言えるのは、殺人はどんな理由があろうと決して許されるものじゃないってことだ。それを勝手な独りよがりで行うなんてもってのほか……そう、キラのようにね。人を殺さない理由なんてどこにもないんだ。大抵の人間は、殺してやりたい程誰かを憎んだって、実際にそれを実行したりはしない」
そうだろう、と竜崎に賛同を求める。しかし竜崎は頷いたりすることもなく、変わらない表情で僕を見つめて言った。
「月くんはその『大抵の人間』に含まれますか?」
「どういう意味だよ?含まれるに決まってるだろう」
「本当でしょうか……」
「本当だ。僕がキラだとでも?」
「そうなんですか?」
「違う!人の揚げ足をとるなよ。しつこいぞ、竜崎」
竜崎のこういう態度にはもう慣れているはずなのに、思わずいらっとして怒鳴り声をあげてしまった。部屋の向こうの方で作業をしていた松田や相沢たちが、何事かと驚いたような顔で一斉に視線を向ける。
「それなら」
今の僕の声をまるで聞いていなかったかのように、竜崎は再び口を開いた。
「月くんは人を殺したりしませんよね?……仮にキラではないとしても」
苛々が収まらず、指で机をコンコンと叩きながら溜め息をつく。
「当たり前だろ。キラじゃないんだから」
「……それならいいんですが」
竜崎はそう言って、独特の持ち方でティーカップをつまみ上げ、角砂糖がたっぷり溶けている紅茶の残りを飲み干した。あとからポタポタと落ちる紅茶のしずくも、真っ直ぐ口の中へ落としていく。
それで終わりだと?……結局、僕にそんな質問をした意味などないじゃないか。それはこいつもよく分かっているはず。
竜崎が右手の親指を口元に持っていき、爪の先を噛んでカリカリという音をたてる。
「ですが……この質問は、第三のキラを捕まえるよりも前にすべきだったと後悔しています」
「僕は僕なんだから、いつ聞いたって同じことだろう」
「いえ、違います」
「どうして」
しばらく沈黙が流れた。竜崎の爪を噛む音と、静かな捜査室の中に張り詰めている空気のキーン、という音しか聞こえない。
ふと、竜崎は指を口から離し、僕を直視した。なんとなく僕も彼の黒い瞳に目をやる。お互いの視線が絡まり合う。
「月くんは今、嘘を吐きました」
竜崎の瞳に、僕の顔が映る。そしてきっと僕の瞳にも、竜崎の――
「あなたは夜神月を殺した」
ドクン、と心臓が高鳴る。竜崎の目は、僕だけを見ていた。
「私は夜神月に殺されたくはありません。いえ、彼自身も殺さないでしょう。ですが、キラを捕まえそしてキラに殺されるならば本望です」
「何を……言ってるんだ?」
どういう意味で?何が言いたい?こいつの腹にあるのは何だ?僕の反応を観察しているのか……?
次から次へと考えが頭の中を駆け巡り、不確かな猜疑心にとらわれていく。
――なぜ、そんなに切ない声をする?
「……キラは最高に最悪の殺人犯だということを私自身の中で再確認しただけです。気にしないでください」
竜崎はそう言うと、ティーカップの脇にあるシナモンスティックを手にとり、まるで雛鳥が真上を向いて親からもらう餌を食べるかのように、ふやけた方の端から口の中へ、パクパクとあっという間に吸い込んでいった。
その様子をじっと見ていると、食べ終えた竜崎は、紅茶を新しく注ぎ込みながら言った。
「やはり月くんはキラですね」
「何でだよ」
一瞬、何か口を滑らせたかと思いヒヤリとする。しかし僕に限ってそんなことはない。
竜崎は人差し指の先をくわえて僕を見た。
「今、顔がキラっぽかったです」
「そんなこと知るか!」
「ほら、また」
「……もういい!お前の話に真剣に付き合った僕が馬鹿だった」
そう言い残し、僕は竜崎にクルリと背を向けた。
ああ、馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいとも!
僕は夜神月であり、キラであり、そして新世界の神でもある。こいつの言葉の意味なんて考える必要もない。なぜなら僕はキラだから。さっき、僕が一体何に動揺したのかさえ分からない。一瞬の気の迷いだ。
お望み通り僕がお前を殺してやるよ、竜崎。キラがお前を殺す――夜神月がお前を。僕が、夜神月がお前を葬るんだ。忘れるな。
僕も、忘れない。
僕たちはなぜ、こんな形で出会ってしまったのだろう?
殺し殺されることでしか、何も確かめられない。そのあとには何が残る?……ああ、そうか。それで初めて真実を見ることが出来るんだね?皮肉な話だ。あまりにも。
――この感情は、一体。
殺したくなくてもそれでも憎まなければならないから殺さなければならないから
少しくらい月にもこういう葛藤があっていいと思います。
06/12/26 writing by saizaki