砂糖とポーカーフェイス
「おい、竜崎……ちょっと砂糖入れすぎじゃないか?」
僕はパソコンの画面越しに、思わずつぶやくように言った。捜査本部のテーブルの上に置いてある紅茶のカップの中に、ポチャポチャという音を立てながら角砂糖をいくつも落としている竜崎を見かねてのことだ。もはや紅茶の表面は砂糖に埋もれ、見えなくなりつつある。
彼は僕のほうを見もせずに、「そうですか?」と答えた。
「どうせ無駄にはしないんですから、心配する必要はありません。それにいつもはそんなこと言わないじゃないですか」
僕は小さく溜め息をついた。
「そういう問題じゃないよ」
「どういう問題なんですか?」
竜崎の大きな瞳が、初めて僕のほうへ向けられた。その口には、ひとつの角砂糖がくわえられている。まったく、何か言ってやる気も失せるような態度だ。
「……絶対いつか糖尿病にでもなって体がもたなくなるぞ」
竜崎の口の中に消えていった角砂糖を見やりながら、僕は呆れたように言った。
「大丈夫です、私はいつも頭を使ってますから。考え事に糖分は必要不可欠ですし……」
「それはもう聞き飽きたよ。竜崎のは限度を超えてると言ってるんだ」
そうでしょうか……と、竜崎は紅茶味の砂糖を口に含みつつ言う。
「脂肪ばかり摂っているというなら問題ですが、私の場合糖分はすぐ頭へと向かってくれるので体に影響はありません」
それが果たして真実かどうかは、今の竜崎を見れば一目瞭然だ。しかしここまで口出しをした以上、最後まで言ってやりたいとも思う。僕のこういうところが「負けず嫌い」、だから「キラ」と言われる原因の一つかもしれないが、それが夜神月という人間なのだから仕方ない。こんなところで演技したって、時間と精神の無駄使いになるだけだ。
「屁理屈言うなよ。世界一の探偵ともあろうお前が、自分の健康くらい気にしないでどうするんだ?倒れたりしたら元も子もないだろ」
「では月くんは、私が仮に糖尿病になって入院することになったらどうしますか?」
突然話を飛躍させる――いつものことだ。それに、この会話の先で竜崎が僕に言わせたいことなど簡単に想像がつく。別に言ってしまっても構わないが。これは夜神月としておかしくない対応だろう。
「どうって……そりゃたまには様子を見に行ったりするかもしれないが、特に気にはしないよ。僕は僕でこの本部で捜査を続けるだろうね。竜崎が病気になったって、それは誰がどう考えても自業自得なんだし」
普通の人なら傷つくような言葉をさらりと口にする。だが、竜崎は気にする様子も見せずに僕を見つめた。その表情からは、何の感情も読み取れない。
「私がいなくても構わないと……いや、いない方がいい、ですか?」
「そんなこと言ってないだろう」
「私がいない方が都合がいいから……少なくとも月くんにとっては」
「……僕がキラだから、か?」
「そうです」
パソコンのキーを叩く手を止めて、僕は竜崎の方へ椅子を回した。
「何度言えば分かるんだ?僕はキラじゃない。いい加減しつこいぞ」
実際、僕はキラだ。もちろん、その尻尾を掴まれるようなヘマなどしない。僕がキラだと竜崎に宣言するのは彼を葬る瞬間だけで、それが最初で最後になるだろう。それまでは、こうしてずっと探り合い、駆け引きの繰り返し。竜崎と僕の間で交わされる会話に、果たして真意を込めたものが存在するとは思えない。それはお互いによく分かっていることだ。そして、いつまでも堂々巡りが続いていく。
「でも、月くんはキラです」
しれっと言う竜崎。ちっとも僕の言ったことを気にしていない。僕は少しだけ身を乗り出し、椅子をキイといわせた。
「……竜崎、僕が言ったのは、たとえ入院しようとどこにいようと、お前は一人で捜査を続けるだろうってことだ。誤解をすぐ仮説に繋げようとするな」
これは珍しく本音だ。なぜならその通りだと思うから。
「そうですね……当たってます。私はそれくらいのことで捜査するのを中断したりはしません」
ほら、やっぱり。僕はある意味、こいつの――竜崎のことを、誰よりも分かっている。お前の考えていることや行動することなんて、なんだってお見通しだ。探りを入れれば入れていくほどお互いのことを理解できるなんて、なんて皮肉な話だろう。
「ですが、そもそも私は糖尿病なんかにはなりません。なるとすれば、キラに殺されるときだけです。キラは病死させることも出来ますから……もしそうなったら、月くんがキラ確定でしょうね。だから心配ありません。どっちにしろ、私はここで捜査を続けます」
「……」
「どうしたんですか?図星ですか?」
「馬鹿言うな、そんなわけないだろ。もうやめよう……竜崎はそのことになると止まらなくなるからな。僕が何度否定しようと無視だし、きりがない。今は捜査の方が大切だ」
僕はそう言って、再びパソコンの画面へと視線を戻した。画面に写った竜崎が、まだ僕のことをじっと観察している。やがて目を逸らし、すでに溶けてしまったであろう砂糖紅茶へと手を伸ばした。
結局のところ、僕たちは駆け引きという名目で会話をしているだけなのかもしれない。なぜなら、僕はこのやりとりを苦に思ったことなど一度としてないからだ。
この感情は、互いに裏の裏を探り合っているからこそ、そこに存在する緊迫感や優越感に相反して生まれるものなのだろうか?毒入り瓶の底にあるものは何か、危険を犯して辿り着く先にあるものは何なのか……それを知ってしまったのが僕たち2人である、と?追う者と追われるものの宿命だと……そういうことなのか?もしそれが正しいのならば、僕は喜んでこれを迎え入れよう。
そうとも……僕は竜崎、お前との会話が楽しくてならないさ。ゲームは楽しむもの。これは、試合に勝つためのステップだ。
そして、僕は決して忘れてはならない――これは敵対心ゆえの快楽だということを。
画面越しの竜崎の視線が、なぜか目に焼き付いて離れない。
僕は自分に、そう言い聞かせた。
DEATH NOTEにハマりすぎたが故に書いてしまった初めての小説。
こういう2人の駆け引きってホントいいです。
06/12/8 writing by saizaki